Web2.0と園芸
ちきりん氏の記事を見てそういえばなぁと思って書きます。
いまやWebの普及で園芸についての情報もかなり多くなっており、若い人でも簡単に手を出せるようになりました。ありがたいことです。
かなり端折りますが、Webは高速道路と、梅田望夫さんが書いておられます。
言及も多いですね。さて、Webのおかげでセミプロのような人が多く生まれるとは一般的に言われるようになっていますよね。先ほどの高速道路の話ですが、高速道路の先では大渋滞が起こっています。つまりセミプロがたくさんいるということです。そこで、これ以上卓越するために、どうするかと考えるわけです。
- 高速道路を降り、別のルートで行く
- 高速道路を進み続ける
- 目的地を変更する
- 目的地がそもそもわからない
などいろいろ考えるわけです。
堀江さんの新著「多動力」でも「80%レベルのセミプロならすぐなれる」と言及しています。
「80%のセミプロ力を身につけました。」
その先は自分で考えなければなりません。80%のセミプロ力を数多く持つか、100%にいかに近づくかなど考えなければなりません。園芸でも同じです。プロはすでに先へ、先へと進んでいます。
それとはまた別の話ですが、私(我々)が飽きずにやれているのはそういった先人達が切磋琢磨して新しい価値を生み出してくれているからでもあります。
やまくささんしかり笹沼さんしかり、こういった先人が文化を作っていってくれています。少しでも近づけるよう頑張るのも一つ、違う道を見つけるのも一つ、いろいろな考えが廻ります。
なんというか、駄文になってしまいましたが、これからも私の園芸ライフは続きますよ。
次の駄文は文化についてですかね。
「文化は成長し、進化し、優れたものになっていく」というヘーゲル的進歩史観は間違いである。というようなことを江戸の園芸を事例に書いてみたいと思います。ただし、そもそも文化は相対的であるということは補足しておきます。まぁ、そのあたりは美学の話になるのでしょうか。美学については全く何もわかりません。それでも相対の極から見える景色はどんなものでしょうか、という話にも触れてみたいですね。それこそポストモダン的な考え方です。育種園芸文化はポストモダン的考え方とマッチしており、それで私も魅力を感じ熱心に取り組んでいるところです。
なぜ若いのにそんなことしてるの?ということをよく言われますが、ガチで答えるとマズいなぁ、と自覚もしています。
実生新花、期待の子